東京大空襲の日 3月10日 被害と死者数

東京大空襲は東京都市部を標的とした大規模な戦略爆撃として、第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われました。
東京は、1944年11月24日以降、合計106回にも及ぶ空襲を受けましたが、その中でも特に1945年の3月10日、4月13日、4月15日、5月25日、5月26日に受けた5回の空襲は大変に大規模なものでした。
明日は最も規模の大きい東京大空襲が行われた日から75年目を向かえます。

1945年3月10日の東京大空襲

3月10日に行われた東京大空襲は夜間に主にアメリカ軍のB29爆撃機により、低高度から1665トンにも上る大変に大量な焼夷弾を投下した空襲でした。
皆が寝しづまった深夜、当時の深川区の北部と本所区・浅草区・日本橋区などの下町周辺が主な標的となりました。
約2時間の空襲で33万発以上という信じられない数の焼夷弾を投下されたのです。
焼夷弾とは、木造建造物を焼き払う目的で作られた薬剤を入れた投下爆弾のことです。
アメリカ軍は、自国で日本に多くみられる木造家屋を作り、この焼夷弾のテストを念入りに行っていました。
東京上空に現れたアメリカ軍は、はじめに目的地に大型の50キロ焼夷弾を投下して大火災を地上に起こし、空中からの目印を作った後に小型の油脂焼夷弾を次々に投下していきました。
木造家屋が一般的であった東京は瞬く間に火の海となってしまいました。
火災はその夜吹いていた、北風や西風の強風もあって、火災は目標地域をこえて、東や南に広がり、本所区、深川区、城東区の全域、浅草区、神田区、日本橋区の大部分、下谷区東部、荒川区南部、向島区南部、江戸川区の荒川放水路より西の部分など、下町の大部分を焼き尽くしました。

東京大空襲の被害と死者数

死者数は10万人。
罹災家屋は27万戸。
木造家屋の密集地に大量の焼夷弾が投下されたことと、おりからの強風で火が広がり大火災となったこと、国民学校の鉄筋校舎、地下室、公園などの唯一の避難場所も火災に襲われたこと、川が縦横にあって道がふさがれ、早めに安全な避難場所に逃げられなかったこと、空襲警報の発令が遅れ、警報より先に空襲が始まり、奇襲となったこと、逃げ出さずに踏みとどまって消火しろとの指導が徹底されて、火たたき、バケツリレーのような非科学的な消火手段がとられ、十分に火災を消すことができないで逃げおくれたことなどの原因が重なり、焼死、窒息死、水死、凍死など、多くの方が亡くなりました。

東京大空襲は無差別爆撃

民間人が暮らす地域に無差別に攻撃を行うという行為は国際法に違反していないのでしょうか。
東京大空襲の後、日本政府はスイス政府を通じてアメリカに抗議をしたそうです。
しかし、アメリカはその後も日本各地で一般の市民を巻き込む無差別攻撃を続けました。
なぜアメリカは無差別攻撃を続けられたのか。
少し調べてみましたので簡単ですが以下に記載します。

ハーグ陸戦条約及びジュネーブ傷病者条約において、非戦闘員の殺傷、非軍事目標、無防備都市への攻撃、不必要に残虐な兵器の使用、捕虜の虐待などは禁止されていたのですが、当時の国際法には強制力がなく、1904年の日露戦争までは各国がルールに沿っていましたが、1936年のスペイン内戦あたりからなし崩しになってしまっていたようです。

カーチス・ルメイという男

カーチス・ルメイは、当時のアメリカ軍の空軍少佐です。
東京大空襲を計画、実行、指揮したのはこの人です。
その後の広島、長崎に原爆を投下したのもこの人です。
第二次世界大戦後、アメリカ軍の内部施設で発見された当時の空軍幹部246人の肉声テープで、彼は日本に対して行った空襲について次のように語っています。

インタビュアーの質問:
”日本爆撃に道徳的な考慮は影響したか?”

カーチス・ルメイの回答:
 ”当時日本人を殺す事に対して悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせる事。もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていた。幸運にも我々は勝者になった。答えは勿論イエスだ。軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだが、戦争は全て道徳に反するものさ。”

いかがでしょうか。
私は思わず言葉を失ってしまいました。
戦争は勝った方が勝ち。
実際に、第二次世界大戦後に開かれたあの東京裁判では、東条英機をはじめ敗戦国である我が国の主要人物はA級戦犯として裁かれました。
しかし、市民が暮らす地域に無差別に爆弾を投下したカーチス・ルメイをはじめとしたアメリカ軍の人間は何ら裁かれていないのです。
非常に納得がいかない気持ちになります。

カーチス・ルメイについてはこちらの記事を是非ご覧ください。
>>東京大空襲を企てた男 カーティス・ルメイ

戦争は繰り返してはいけない

戦争は悲劇です。
戦争中も戦争後も何も良いことはありません。
人類が成長しこの先戦争が絶対に行われない世界になってくれる事を祈ります。
75年前の明日、3月10に行われた東京大空襲。
この国が辿ってきた様々な経験があってこそ、現在があることを意識してみたいと思います。

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